教会の歴史 - 日本キリスト教団 富士見丘教会 

日本キリスト教団 富士見丘教会


『主を喜び祝うことは、私たちの力の源』
ネヘミヤ記 8章10節
‐2017年度 富士見丘教会 教会標語

富士見丘教会の歴史

 富士見丘教会は、1935年、開拓伝道に熱心に取り組んでいた伝道者並びに信徒達により当時未だ開発途上にあった下北沢 の地に発足し、翌1936年教会堂 建設後、日本組合教会に正式に所属することとなりました。初代牧師は、発足に至るまで信徒達の指導に当っていた山本忠美牧師です。

 富士見丘と言う教会の名称は、文字通り当時そこから富士山を見ることができることから付けられました。その頃教会の多くは都心部にあり、一方教会員には 郊外に住むという不便さがあり、小田急線と新設された井の頭線(1934年開通)が交叉する便利な地点を選ぶことで、教会員が遠方の教会に通う不便さを解 消したいとの考えがありました。

 1951年山本牧師が自ら設立に関わった中目黒教会の牧師として招聘を受け、後任として倉敷教会牧師の東方信吉牧師が赴任しました。東方牧師は(1)地 域に根を下ろす教会を目指す(2)信仰によって生かされ、神から人間が愛されて いることを具体的に述べ伝え。という点を軸として教会活動を行い、地域との繋がり重視の第一の柱として、地域に根ざす為の幼稚園開設構想の具体化を進め、 1953年4月教会堂の施設を活用し「愛児園」が開設されました。

 1955年代後半、日本の高度経済成長の始まりの時期に東方牧師は、日本基督教団の役職を兼務していました。当時の教団活動の三本柱は、(1)伝道(2) 教育(3)社会との関連でなすべき奉仕活動が挙げられていて、自ずと富士見丘教会においても、これらに沿った教会活動が推進されました。

 愛児園の拡充、教会学校の充実等、1960年代前半には松永希久夫伝道師(故元東京神学大学学長)、野村幸男神学生(現西条教会牧師)が加わり教会伝道 へ の貢献はもちろんのこと、青年会の活動、教会学校全般にわたり、子供や若者への宣教に大きな役割を果たされました。

 当教会の今日までの歩みを振り返る時、協力牧師(伝道師を含む)と神学生の働きがいろいろな意味で牧師と教会の支えになっていました。協力神学生として はその後、東方敬信(1967年~2009年、当教会牧師)、伊藤悟(~1994、現青山学院大学)、林完赫(~1999年、現在ドイツ・ハイデルベルグ 大学在学)諸兄を与えられ、その後は米田芳生、佐野純、兼子洋介、田所義郎諸氏が活躍されました。ハンドベルを通じての「キリスト宣教」に熱心な小澤淳一 (現聖ヶ丘教会員)も1996年から1999年まで協力牧師として更には教会学校、 青年会などの分野で地道な活動ながら大きな貢献をされました。

2009年、止揚学園保母さんをお迎えして  さて当教会は、心身障がい児を預かる「止揚学園/福井達雨園長」と40年近くにわたる長く関係の深い交わりを続けています。1963年、東方牧師が設立後間 もない止揚学園への教団からの財政援助の実現に努力したことを契機に当教会に「保母さん招待プロジェクト」をスタートさせ、毎年1回止揚学園の保母さんを 数日間ではあるが東京に招待するようになりました。愛児園の母の会と共に今日まで続いており、40名余の保母さんが当教会とささやかな関わりを持っていま す。

 「保母さん招待プロジェクト」は当教会が戦後間も無く始めた「教会バザー」による収益金に支えられています。「教会バザー」はこの他、愛児園園舎の増改 築 や愛児園への補助などの資金に使われていますが、現在では、愛児園母の会との共同事業として毎年11月3日に行われています。

 1960年代後半は、当教会にとって「教育の時代」と位置付けられています。愛児園のお母さんの中から受洗される人がでてき、又愛児園の卒業生の多く が、 そのまま教会学校に進級し教会学校の活動が大変活発になってきた時期です。その一環としての教会学校の夏期学校は、色々の変遷を経て御殿場にある「東山 荘」で一泊二日の研修を行っていました。

 現在、愛児園児とその親たち、教会学校生徒とその親たちと教会員とが一堂に会し、相互の距離を少しでも縮め、教会・信仰・祈りと言ったキリスト教の香り を 親たちに伝えたいとの目的を加え、「全体礼拝」を年1回行っています。これは、1970年代前半から始まった教会学校との合同での「野外礼拝」の新たなる 展開です。

 当教会では、「婦人会」「壮年会」「青年会」「ビッビア」等の部会があり、それぞれ目的を持って活動していますが、婦人会による外部奉仕活動について少 し 触れてみたいと思います。

 1967年からの止揚学園の「保母さん招待プロジェクト」は、婦人会が主体であるが、更に1975年代後半に入り、他の障害者施設への奉仕活動を具体化 さ せました。詳細は省きますが①重障児センター(社会福祉法人・全国重症心身障害児(者)を守る会の一部門)の月刊誌『両親の集い』の袋詰め作業の手伝い② 有隣ホーム(千歳船橋)のオムツ畳み奉仕③JOCS(日本キリスト教海外医療協力)の「使用済み切手回収運動」への協力です。

「信仰の深化」はキリスト者にとっては大切なテーマであり生涯にわたり模索し続けるべきものであり、「信仰の為の生涯教育」は強い重みを持っています。教 会内部の聖書に関する学びは、当教会の創立以来様々な形で引き継がれていますが、1954年より始められた「教会修養会」は、現在では『全体修養会』とし て毎年夏、宿泊を共にしながらキリスト者としての抱える様々な課題に焦点を当て信仰の深化と宣教の業の実現に向けた学びが継続されています。

 1975年代後半に入って「昇天者名簿」に記載される人数も40人近くになり、教会墓地建設への希望の高まりに対応し、1983年11月八王子市所在の 「上川霊園」内に教会墓地を建設しました。1991年4月より、東方信吉牧師は実質的に第一線を離れ、東方敬信牧師が後任となり青山学院大学教授と兼任で の牧会者となりました。2002年4月に若い米田芳生牧師を主任担任教師として迎 え入れ、2006年4月米田芳生牧師の三重県伊賀上野教会転出に伴い、秋葉恭子牧師を主任担任教師としてお迎えしました。

 教会の会堂も献堂以来60年以上を経過し、その間必要に応じた補修等は行ってきましたが、各所での建物の劣化が激しくまた耐震性にも問題があり、教会員 一同の議論の結果、会堂改修を決議し、2002年12月のクリスマス礼拝は新装成った会堂で祝うことができました。改修に当たっては、特に資金調達面で愛 児園の父母、教会学校父母、他教会他から多大なご協力をいただいています。

 私たち富士見丘教会員は、神のみ手に支えられてきたこの教会の60年の重みを感じ、この様な歴史と伝統を大切にし、21世紀に向けて優れた信仰の継承が 行 われるよう精一杯努めていきたいと思います。

 2003年(平成15年)9月19日、富士見丘教会が国登録有形文化財に登録されました。富士見丘教会につらなる者として大変名誉に思うとともに、教会 の 創設より現在に至るまでの信仰の諸先輩を覚え、この地での更なる伝道の継承に励みたいと思います。